ここパソコンに向かう、ファンには行き過ぎたディズニーオタクにも、かつて純粋にディズニーを愛していた時代があった。キャラのワンショなどという概念も持たなかった彼女は、しかし純粋に、心からディズニーの世界を愛していた。
彼女はDisney’s Fantillusion!を愛していた。年に一度か二回、家族とインパークした日の夜。一日の楽しかった記憶が、光の洪水にのまれていくあの感覚。踊る光たちをはじめて見た。光も音も、七色よりも多く輝いていた。それは、夜に見る幸福な夢そのものに違いなかった。
時が経ち、ファンティリュージョンは終演した。
ビデオを買う習慣がなかった我が家にも、なぜか「さよならディズニー・ファンティリュージョン」はしっかりとあって、私にはお小遣いがなかったのでどうやってそれを手に入れたのかは思い出せないが、もしかしたら親にねだって買ってもらったのかもしれない。(今は、あのVHSはどこにいってしまったのだろうか。とうに捨ててしまったのか、とんと見ぬ。)
さて、パレードは終演した後も、擦り切れるまでビデオを見て、何百回もCDを聞き、やがてディズニー・オンクラシックなどでもあの音楽を聴く度に、私はいつかまたあの夢を見たいと願い続けた。思い出せばいつだって、まぶたの裏にはあの七色の光と音たちが踊る。いつかまた、この目に見たい。
やがて私は、ディズニーランドパリにこのパレードが移設されたと知って歓喜した。
またあの夢を見れる!
喜び勇んでパリに飛んだ。
高鳴る胸を押さえながら、遠くからやってくる虹の下のミッキーを待った。
そしてとどのつまり。
結論を言えば。
どうしてどうして。
私は失望したのだった。。
光は七色ではなく、音もまた。なぜだ。私のファンティリュージョンはここにはなかったのか。心底がっかりした。
結局私はこのパレードを、あれだけ楽しみにしていたにも関わらず、旅行中にはまともに一度しか見なかった。
帰りの飛行機で。静まった機内で、私は恐る恐るiPodのイヤフォンを耳にあてる。
ファンファーレに続いてやってくるミッキー。それは間違いなく虹の七色よりも光り輝いている。
あぁ、どうしてこんな簡単な事が何十年もわからなかったのだろう。本当はこのiPodさえも要らなかったのだ。いつだってファンテュリュージョンは私の心の中にあったのに。
きっと今の私には、舞浜で、当時と変わらぬファンティリュージョンを再演で見せられたって満足する事はないだろう。もう私には、あの日のファンティリュージョンを見る事は決して叶わないのだ。
あの日、純粋な気持ちでディズニーを楽しんで、隣には母と妹がいて。一年で一番楽しい一日を過ごした、それはまるで夢の中で。ファンティリュージョンは、夢の中でしか見れない夢だったのだ。
だからもうどんなに探したって、二度とこの目にする事はできない。けれど、願えばいつだって、見ようと思えば見れるのだった。心の中にあったのだもの。
青い鳥も我が家も。探している大事なモノはいつだってこころの中にあると、うさぎどんもあれほど教えてくれていたというのに。
パリまで行ってやっと解るなんてね。
(さぁさ、おはなしはこれでおしまい!)
The New York Globe Telegraph - Home Sweet Home (とあるうさぎどんのお話) (via machikoma)
(via machikoma)



